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京都家庭裁判所 平成6年(家)638号 審判 1994年10月03日

申立人

甲野春子

昭和三三年一一月一五日生

上記代理人弁護士

籠橋隆明

主文

申立人の氏を「甲野」から「乙川」に変更することを許可する。

理由

一  一件記録によれば、次の事実を認めることができる。

1  申立人は、大学一年生であった昭和五二年ころ、祇園のクラブでアルバイトをしていたが、客として訪れた乙川一郎(昭和一一年四月二八日生、以下一郎という)と知り合い、その後、一郎から妻とは離婚協議中であり、離婚した場合には申立人と結婚したい旨の申込みを受けるに至った。

申立人は、昭和五三年七、八月ころ、前記一郎から「今日妻と離婚した。判をつく時とても嫌だった。」などと言われたため、一郎が妻と離婚したものと信じ、同年九月ころから結婚を前提に申立人の山科のアパートで一郎と同棲を始めた。

申立人は、昭和五四年二月ころ、妊娠していることに気付いて右一郎に強く入籍を求めたが、優柔不断な態度を示して容易に応じないため、同年五月ころ、一郎の戸籍謄本を取り寄せたところ、一郎が未だ離婚していないことを知り、驚愕して一郎に事情を問い詰めたが、一郎は、今すぐには離婚できないという弁解をなしたが、既に妊娠五か月の状態になっていたため、同年一〇月一九日二郎を出生するに至った。

申立人は、二郎を出生したため大学を中退し、主婦として生活するようになり、昭和六三年一〇月二四日には夏子を出産した。

一郎は、二郎、夏子を認知している。

申立人は、二郎を妊娠していた昭和五四年ころから乙川姓を使用するようになり、以来今日まで使用を継続している。

2  本件申立の動機は、申立人及びその子らは、社会的に乙川姓を通称として昭和五四年ころから使用してきたこと、また、申立人は、子供らに戸籍上の氏が甲野姓であることを告げたことがないため、子供らに甲野姓が知れることを恐れ、二郎が病気に罹っても甲野姓の国民健康保険書を使用させていないし、修学旅行の際、保険書の写の提出を学校から求められても、忘れたなどと済ませるように指示するなど社会生活上やや過敏な行動をとってきたため、二郎は、小学二年生ころから神経的症状が生ずるようになり、六年生のころから物がなくなることを無闇に気にするようになり、給食で出たバナナの皮を家まで持って帰ってきたり、自分の食器に印をつけたり、風呂に二時間も入り続けたり、風呂に入った後の湯を代えないで欲しい、学校は汚いなどという強迫神経症に陥り、右症状は、長期間の通院治療により中学二年になって小康状態になっているものの、いつ再発悪化するかもしれない状態であって、本件申立は、主として二郎らの精神上の安定という日々切実な要求のもとに申立られたものである。

3  他方、一郎は、従業員約四〇名を有する建築業「株式会社乙川組」を営み、妻正江(昭和二二年八月二一日生)、長男明夫(昭和四五年一一月一二日生)、二男浩(昭和五二年六月六日生)と家庭を有しており、右正江は、本件申立には反対しているものの、裁判所が認めるのであれば、やむを得ない、また、別件の二郎らの子の氏の変更申立事件については、二郎らが一郎及び正江らの戸籍に入るため強く反対している。

二 ところで、重婚的内縁の妻の改氏については、夫婦同姓に基づく呼称秩序の維持と申立人ら家族の一〇数年にわたる使用による利益等を比較考量して判断すべきものであるが、申立人の主たる動機は、単なる永年使用を目的とするものではなく、申立人の子二郎の精神的安定を主たる目的とする申立人家族全体の利益を目的とするものであること、本件は、非嫡出子として出生し、現在中学三年生である二郎らの福祉をも考慮すべき事案であること、一郎の妻正江は、前記のように、二郎らが一郎及び正江らの戸籍に入る方法での子の氏の変更には強く反対していること、また、夫婦同氏及び非夫婦別氏という原則は、離婚後の婚氏続称の制度(民法七六七条二項)により例外を認められていること、また、婚姻制度等に関する民法改正要綱試案においては、立場の差異はあるものの、何らかの形で夫婦の氏の別氏を認める方向にあり、今日において、夫婦同姓に基づく呼称秩序の維持の比重は、次第に低下していると認められること等の諸般の各事情を総合して検討すると、本件申立は、戸籍法一〇七条一項に規定する「やむを得ない事由」に該当するものと認めざるを得ない。

そうすると、本件申立は、理由があるから主文のとおり審判する。

(家事審判官水口雅資)

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